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くめちゃんのつぶやき脳No.355

◇「正しく畏れる」とは?


コロナ禍の生活が続く中、「正しく畏れる」ことが大切とといわれています。

この「畏れる」というのは、自然に対する畏敬というときの「畏」です。


つまり、コロナウイルスに対して「畏れる感性」をもつことを表すと考えます。


私が尊敬するアメリカの生物学者で、「沈黙の春」の著者でもあるレイチェル・カーソンが、最後に著した本の

タイトルも「畏れる感性」でした。

英語では「センス・オブ・ワンダー」というのが適切な言葉になります。


彼女は、子どもたちにとっては「知ること」よりも「感じること」が先で、自然中の美しさや、精妙なもの、ドラマチックなものをみることで、尊敬や畏敬(ワンダー)の念を抱くもものだと語っています。


私もまったく同感で、そうしたことが自然観や人生観、生命観の基礎になっていくと感じています。


突然の疫病流行やや自然災害などの自然現象に対して、近代以前の人たちは畏敬の念をはぐくんできました。

それが「カミ」や宗教を生んできたとも考えれます。


人々はそうした、人知を超越した現象に対し畏敬の念をもち一貫して「カミ」として扱ってきた歴史があります。


現代では、時代をつくり形作っているものは人間だとイメージしていますが、近代以前では社会を構成しているものに人間以外の存在、いわゆる「カミ」が共存していました。


人間と人間以外の存在が共存することで、人と人との間を柔らかくクッションのようにして、地域の祭礼や伝統芸能のような公共空間が生まれ、豊かな人間関係の維持につながってきたといえます。


それが、人間同士が直接触れ合って傷つくことを防いできたのですが、現代は合理性を追求するあまり、人間社会から人間以外の存在を追い出してしまっているように思えます。


人間以外の存在が失われたこと(畏敬を失ったこと)でちょうど、ハリネズミが互いの棘で傷つけあうような社会になっていると感じます。


狭い空間では、少し身をよじっただけで相手を傷つけてしまう。

そうした状況がコロナ禍でより顕著になっているように思います。


さて、コロナウイルスも自然の一部である以上、「正しく畏れる」ことが大切。


手を洗う、マスクをする、三密をさけるなどの基本を守るのはあたりまえです。


また、いま、話題の特効薬とされるるワクチンを打つことで解決できるかというとそうはいきません。


今、一番大切なこと、それは自分の身体を信じることです。


ウイルスに対しては必ず体の中の免疫システムが働きます。


まずは自然免疫という方法で、ウイルスが暴れないようにすることです。


さらに、ウイルスが増殖するようなら、ウィルスに結合して無力化させてしまう抗体ができます。


つまり、ワクチンと同じ働きをする抗体を生み出す力が、体の中に備わっているということです。


内にある精妙な免疫システムがきちんと働く!と、

まず信頼を置くことが、「正しく畏れる」の本当の「畏れ方」になります。




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